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金木犀のある家に住みたい
2年前、突如私は夢を語った。

「金木犀のある家に住みたい。」

その年はもうすでに季節は終わっていたが、
植木市で金木犀の苗?鉢?根っこがぼこってついた木を購入。

その1年後、つまり昨年、私の夢はかなった。
夏の余韻も過ぎ去り、涼しい風が吹くようになった頃、
思い出したかのように香ってくるあのいい匂い
が、玄関開けてすたすた3歩ほどしたら嗅げるのだ。

突如宣言したのは2年前だったが、私の金木犀好きは結構な歴史があるのだ。
その長年の願いが今、叶ったのだ。
私は幸せだった。


その1年後、つまり今年。
我が家の玄関先から金木犀は香ってこなくなった。



えぇ、枯らしましたとも。



この春、産後の姉を手伝いに出かけていた母が帰ってくるなり、
「おもての金木犀が枯れてる・・・あんた水やった??」

「ん・・・一回も・・・・・・・・」


私の頭には、植物の水やりという概念が残念ながら備わっていなかったようだった。

己のずぼら体質のおかげで、私の一応長年の夢は
あっけなく散っていった。



金木犀の木に水をやり続け、毎年秋の到来と共に
空気に香水を撒き散らしたようないい香りを漂わせて下さっている皆々様、
これからもどうぞよろしくお願い致します。
# by esoraly | 2009-10-12 01:54 |
スタジオジブリレイアウト展に行った日
今朝、母に「昼からジブリレイアウト展見に天保山の美術館行ってくる」と告げた。

と、「へぇー天保山って海遊館の近くやんなぁ。
そういえばあんたなんであの時海遊館行かへんかったん?」

大昔の話をむしかえしてこられた。


私が小学何年生のころだっただろうか。
突如母が「海遊館へ行こう!」と言い出した。
私はもうそのときすでに出不精の性質を存分に発揮しており、
なにもそんな遠くまで行って結構なお金出してまでお魚見に行きたくなんてないわい、
てな感じで母のお誘いを丁重にお断りしたのであった。
なんともかわいげのない児童だ。
何度も何度も行こうという母を何度も何度もお断りし、
結局私はひとりでお留守番をすることになった。
ま、ひとりになったら寂しくてやっぱ行けばよかったかなぁなどと少し後悔したのだけれど、
そんなこと口が裂けても言わなかったけれど。


「ほんまにノリ悪いなーあんたは」
十何年も前の私の言動に今更いちゃもんをつけられての出発であった。


平日というのに館内はすごい人人人人。
というか、音声ガイドを聞きながらじっくり鑑賞の人が一杯いてとにかく進まない進まない。

おーこれらを経てあの数々の名作は生み出されていったのかーと思うと鳥肌がたった。
ラフな線でラフな感じで描かれていてもめちゃくちゃうまい。
何枚もの紙をつないでのでーーっかいレイアウトも圧巻だった。

お土産を買い、梅田に戻ってご飯を食べて、阪急うろうろして電車。
慣れない大阪に疲れたのか、友人も私も電車の中でウトウトウト。

と、ふとよぎったのが
「なぜ宮崎駿(が決めたかは知らないが)はジブリ美術館のネコバスで遊ぶのに年齢制限を設けたのか。
またなぜそれが小学6年生まで(確か)なのか。」

私が初めてジブリ美術館に行ったのは、確か19歳。
ネコバスに乗り込むのを楽しみにしていたのに、あいにく小学生時代はとっくの昔に過ぎ去っており、
なんやーわてら遊べへんのかーとわーきゃー騒ぐ子供たちを、指くわえて眺めていた。

しかし、果たして二十歳やそこらの女子が、あのネコバスに入ってどう「遊ぶ」のだろうか。
あのたくさんのまっくろくろすけで、いかに「遊ぶ」のだろうか。

生後1年未満の甥っ子達や友人知人のベビちゃん達は、周りのもの何にだって興味を示し
何にだって触ろうとして食べようとして、ほんっとにあらゆるものを「おもちゃ」として遊んでいるように見える。
とにかく目に入るもの全てに関心がいき、その好奇心旺盛さに私はいつも感心するのだ。

大きくなるにつれ、そのあらゆるものへの好奇心っていうのは薄れてくるのだと思う。
「これがおもちゃだ」というのを知り、そのおもちゃは「こうして遊ぶのだ」ということを学んでいく。
そうするとそれ以外のものを「おもちゃ」と認識しなくなる、って言えばちょっと極端かな。。。

私が小さい頃、原っぱとか家の前でなんとなく遊んでいたのは小学校1,2年生のころまでで、
それ以降は友達の家行っておもちゃで遊んだりゲームをしたりして、
高学年になったら皆でニチイ(現サティ)に行ったり近くのモスに行ったりしていた。
たぶん、その高学年時代ですら、私がジブリ美術館のネコバスの中に入ったら
何したら良いかわからなかったと思う。
ちびっ子がわーきゃー走り回ってネコバスから出たり入ったりして、上から下に滑り降りたりして、
まっくろくろすけをわーきゃー投げまくっている様に囲まれて、おとなしくネコバスに座ってその風景を
眺めているような気がする。


年齢制限はただ単に、サイズの問題かと思っていたが(実際そうかもしれませんが・・)
きっと、「きらきらした顔でなりふり構わずネコバスとまっくろくろすけで遊べる」ぎりぎりの年齢の範囲
が設定されているのかもなぁ、と思った。


いつまでも、きらきらした顔でなりふり構わずあらゆるものを楽しめる、そんな人間であれたらなぁ思う。
ま、私はもはや手遅れか・・・・・
# by esoraly | 2009-10-07 00:32 |
『わたし どん角、姉 えい角』
お盆前、私は自分の髪を切った。
依然、極めてえのきだけに近いスタイルを持続中。

お盆に姉が帰ってきたときに、姉の髪を切った。

姉も髪が細く少なく、ぺたんってなる。
頭のてっぺんはぺたんてなって、肩上の髪の毛はパーマを活かして少しふんわり。
姉は、えのきだけというよりも、もうちょいするどい角度のきのこスタイルに変身。


「わたし どん角、姉 えい角」


こんな標語がふと頭に浮かんだけど
使用頻度はかなり少ないであろう。
# by esoraly | 2009-09-01 20:09 |
この世の中のかわいいの二人
夏休み中、埼玉の姉一家が帰省し、京都の姉一家も我が家に集まり、
めでたく初のいとこ対面を果たした。

この世の中のかわいいの二人が、目の前に揃っちゃいました。
あっち見てもかわいい、こっち見てもかわいい。
おばさんは大忙しで口角以外のすべての顔面筋肉を重力に逆らうことなく
デレデレ伸ばしておりました。

約5日間滞在した姉一家が埼玉に帰る夜。
「甥っ子を深い眠りに入らせてから(だいたい夜9時~10時ごろから深い眠りに突入)車に乗せて
目覚めたころにはお家」作戦。

帰る迄の間、2階ですやすやと眠っている甥っ子に添い寝して、
おばさんの目から涙がすーすーと流れ出たことは、甥っ子(爆睡中)とおばさんだけの秘密。

姉一家が帰ってしまったあと、残ったのは50代半ばと20代半ばの大人が3人。
なんて華がないのだ。
なんて賑やかさがないのだ。
なんて可愛さがないのだ。


そんなシケシケメンバーの我が家にも再び慣れてきた今、
私はとっても焦っている。


私は死ぬまでにどれだけの本を読むことができるのだろうか。
大昔から語り継がれてきたいわゆる「名作」に、どれだけ触れ、
また近代・現在執筆し出版されている作品をどれだけ味わうことができるのだろうか。

「本を読むことは、心の貯金をするようなものです。いろんな本を読んでください。」

          -「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶつける
           490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 22頁-

こんなこと言われた日にゃあどんどん焦っちゃうよ。
あれも読みたいこれも読みたい。
でもそんなに沢山一度に読めん。

読み返したい本も一杯あるのに、知らない本が多すぎる。


てなわけで、どちら様か「これは良かった、太鼓判。」っていう本あれば、
ご一報頂ければ喜びます。

でもそんなことされちゃあ私はもっともっと焦ります。
# by esoraly | 2009-08-20 18:06 |
人のはな歌‏
乗った電車には、外国人の家族が乗っていた。

英語圏から来られたのだろう、なかなかの大声早口で話しておられた。

私は彼らに背を向けた形で立ちながら本を読みつつ、
リスニング力向上の為少々その英会話に耳をかたむけていた。(ちんぷんかんぷん)

と、その話し声の方向から突如響き始めた。

哀愁を帯びた歌声に、素晴らしく美しいメロディ。
おそらくお母さんが歌っているのだろう。
まるで子守唄を聞かせているかのよう。

淋しさ<楽しさを含んだ音展開。
私の心は激しく揺さぶられた。

その歌声はすぐに終了してしまい、よっぽど「も一回歌ってもらえますか?」とお願いしようかと思った。

しかしまぁそんな勇気もなく、私は下車し、
今聞いたメロディを絶対に忘れないでいようと、何度も何度も口ずさみながら歩いて行った。

が、仕事開始からものの1時間ほどで、
あの素晴らしく美しく心揺さぶるメロディは私の記憶からすっかり消え去っていった。



もう二度と戻ってこないであろう記憶。

もう二度と聞くことのできぬ歌声。

もう二度と出会えぬあのおかん。



悔やんでも悔やみきれないので悔やむのはよそう。



素晴らしい歌声を届けてくれた異国の母よ、ありがとう。
# by esoraly | 2009-08-10 14:33 |